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“常識”に捕らわれない挑戦で、新たな世界を拓いていこう

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大学卒業後、父・篠崎清一のもと有限会社篠崎硝子工芸所入社。 1981年 (有)篠崎硝子工芸所入社 1996年 東京カットグラス工業組合主催江戸切子新作展 江東区議会議長賞受賞 同年 東京ガラスアート展 佳作入選 2000年 江戸切子新作展 江東区長賞受賞 2001年 (財)札幌市芸術文化財団・読売新聞 北海道支社主催「ビアマグランカイ3」作家奨励賞受賞 2002年 東京都知事より伝統工芸士に認定。 2004年 第2回 金津創作の森「酒の器・展」入選 2008年 経済産業大臣指定 伝統工芸的工芸品 伝統工芸士に認定。 同年。第4回 金津創作の森「酒の器・展」入選 2010年 第13回日本伝統工芸士会作品展 佳作 第10回関東伝統工芸士作品コンクール 関東経済産業局長賞受賞 第5回 金津創作の森「酒の器・展」入選 江戸切子新作展 江東区優秀賞受賞 2012年 第24回江戸切子新作展 経済産業省商務情報製作局長賞受賞

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“常識”に捕らわれない挑戦で、新たな世界を拓いていこう

「就職も恋愛も情熱だ!」――長年の人事経験で培ったノウハウを本や講演で伝えられる、キャリアドメイン代表の谷所健一郎さん。“ヤドケン”として多くの学生、求職者を導く谷所さんも、多くのキャリアを積んできました。その意外な(?)出発点と歩み、チャレンジに対する想いを伺ってきました。

「本」に思いを込めて



――キャリアドメインを設立されて10年を迎えます。



篠崎英明氏:
大卒男子学生の面接官を担当していた頃、新卒採用の学生から「人事が信じられない」と言われました。彼の回答はマニュアル本を暗記してきた言葉で面接官の心を動かすものがありませんでした。彼の「人事が信じられない」という言葉は、笑顔で対応しながら、不採用にする人事担当者に対して不信感を抱いていたものだったのです。

マニュアル本を購入し、一生懸命努力をしているのにも関わらず。努力の方向を間違っている彼を見たとき、同じように悩んでいる求職者が多いのではないかと感じました。



いくら優秀でもいくら能力や学歴があっても、最終的には人間対人間という感情の部分は外せません。人事という仕事を通して感じた想いをどうにかして伝えたいと考え、当時私が所属していた会社のすぐ横にあった出版社に相談しました。そうして「就職はマニュアルなんかじゃない!」という想いを込めて『現役人事部長だから書ける面接必勝法――サクセスへの道』という一冊の本を出しました。この一冊がきっかけで、その後、求職者支援やセミナーを開催し、書籍も積極的に執筆しています。

――「本」を軸にその時々の気づきと想いが、重なってどんどん広がります。



篠崎英明氏:
最初の本から『転職者のための面接試験必勝法 ここが試される!』に繋がり、『インターネットですぐ転職!―ホントにやりたい仕事に必ず就ける』で、マイナビ転職サイト上で、毎週転職相談を連載することになり『人事部長ヤドケンの実戦!転職道場』にまとめられました。ちょうどその頃独立して、キャリアドメインを起業しました。

私が独立した当時、ここにいきなり来た編集者もいました。「私が本人です」と言うので、話を聞いてみると、マイナビ「転職道場」の連載をしていた頃、求職者側にいた編集希望の女性でした。そんな出会いもあります。

――近著『再就職できない中高年にならないための本』も好評です。



篠崎英明氏:
出版元であるシーアンドアール研究所の社長との打ち合わせの中で、中高年の問題が浮き彫りになって、そのことについてまとめた本を出すことになりました。通常本の出版には、企画会議などいくつか過程を経なければなりませんが、このように「よし、お前に任せるぞ」と信頼してくれると、それに期待に応えなきゃいけないという気持ちが、さらに芽生えてきます。

今回の『再就職できない中高年にならないための本』に限らず、私の本が、一歩踏み出すきっかけになって欲しいと思っていますし、そういう本でなくちゃいけないと思っています。困ったり悩んだりしている人達にとってプラスになるものを書きたいと思っています。私が本に記す文章は、そういった方々へのメッセージです。


本で拓けたアメリカ留学



――「本」は次へ飛び出すきっかけを与えてくれると。



篠崎英明氏:
私自身も多くの本との出会いによって、世界が拓けてきました。高校生の頃、渋谷の紀伊國屋で偶然『留学ジャーナル』を手に取ったのがきっかけで、毎日の単調な高校生活に飽きていた私は、「よし、行こう!」と決めてしまって、ニューヨーク州立高校へ1年間留学しました。

留学の前に英語や作文、面接などの試験があったのですが、それまで全く海外経験もなく、英語も別段得意という訳ではなかったのですが、なんとか受かりました。考えてみたら、それが一番最初の面接らしい面接だったかもしれませんね。

――アメリカでの留学生活はいかがでしたか。



篠崎英明氏:
ニューヨークと言っても、いわゆるマンハッタンではなく、バスが1日に1本か2本しか来ないような田舎でした。英語も一生懸命勉強しなければと思ったのですが、すぐに諦めて、チアリーダーに目が向かいました。

――何をしたのですか(笑)。



篠崎英明氏:
チアリーダーの華やかさに憧れて、バスケットボールのクラブに入りました。残念ながらバスケットボールの素質はなかったようですが、アメリカではシーズンごとにフィーチャーされるスポーツがあって、もともとやっていた陸上競技で先生の目に留まり、花が咲きました。

幼稚園からやっていたピアノも、少しばかり日の目を見ました。中学生の頃にはジャズとクラシック両方やっていたのですが、向こうの高校の音楽の先生に「お前、コンクールがあるから出てみろ」なんておだてられて、結局勝ち抜いて田舎のラジオで放送されたりしました。

そのままアメリカの大学へ進学も考えていて、高校の先生と一緒に大学を見学していました。試験の手配も先生がしてくださったのですが、私が試験日を間違えてしまいました。

「(留学試験に)受かる訳がない」と高を括っていた両親も、実際に留学して、さらにそのまま残ると言い出した息子にハラハラしていたのかもしれません。「戻ってこい」と言うので、とりあえず日本に戻って来ました。

チャレンジなくして成果なし



――「行ってみた、やってみた」ことが、様々な成果に繋がります。



篠崎英明氏:
それはこれからお話しする私の転職活動においても同じことが起こりました。今までの情報だけで判断してしまっては、広がるものも広がりません。常識を少し疑ってみて進むことで、新たな世界が広がります。

アメリカから帰国後、時間があったので、車の免許を取ったり、親から何とか買ってもらった中古の車で学校に乗り付けたりと、ずいぶんと自由に過ごしていました。大学では、パブでウェイターのアルバイトをしていました。その頃は髪も金髪で、毎日楽しくて、その日その日を楽しく過ごしていました。ある日、その様子を見かねた高校時代の友人から、「地に足の着いた仕事を」と、短時間正社員の形で国際電話のオペレーターの仕事を紹介してもらいました。結局それからは卒業までずっと、その仕事を勤めあげました。学生の割に高額だったアルバイト代は、すべて車に消えていましたが……(笑)。

大学の4年ぐらいになると、急にパイロットになりたいと思い、予備校に通いイチから勉強し直したり、彷徨っていましたね。結局パイロットの夢は、希望する会社がその年に採用がないことがわかって、諦めました。

――いよいよ年貢の納め時です。



篠崎英明氏:
そろそろ働かないと、と普通の就職活動をしようとしたところで、はじめて「何にも準備してない、何もわからない自分」に気がつきました。社会もなにもわかっていなかったので、とりあえず大手企業にと安直にも考えてしまい、商社を受けます。

商社の面接では、大学名で呼ばれました。「東京大学の何々さん」と話す面接官は、ニコニコと楽しそうでしたが、私が呼ばれた時は、真逆の反応で……(笑)。留学の話も、気にかけてもらえず、なんとかできないかと友人に相談したところ、「教授の推薦状」というのが効力があると聞いて、どこまで勉強していたか怪しいものでしたがドイツ語とドイツ経営学をとっていた私は、ゼミの先生に推薦状を書いて頂き、ヤナセを受けることに。

そこの面接官はとても柔らかな人で、「ああ、この会社はいい会社かもしれない」と思って(笑)、ところが筆記試験でまさかの寝坊をしてしまいます。毎晩夜中に遊んでいた私は、見事に寝過ごしてしまったのです。

開始時間には間に合いませんでしたが、とりあえず受けても良いということになりました。希望者には英会話の試験があり、このままでは確実に落ちてしまうと考えていた私は、まっさきに手を挙げました。留学をしていたのでペラペラと話しますと、大逆転です。おかげで内定を頂きヤナセに就職します。

――ものすごい就職活動劇ですね。



篠崎英明氏:
そこからまだ続くんです(笑)。ヤナセでは雪上車の営業に携わっていたのですが、冬はほとんどスキー場回りで、真っ白な景色を見ながらふと、「ベンツを売るだけではなく乗りたい」と思い始めました。25歳ぐらいの頃ですね。

それだったらもう独立して会社でもやらなきゃいけないなと思い、起業するための資金の相談のために、なぜか銀行の人を家に呼んだりしていました。本当に怖いもの知らずで、来てくれた銀行の人からは、「まずはご両親に相談すべきです」なんて言われてしまって。
まずは手に職をつけようと、知り合いの美容師の所へ丁稚奉公に出ます。当時男性の美容師は少なく、面白そうだったのでその世界に進みます。昼間はシャンプーをしながら現場で修行して、夜は山野美容学校へ通っていました。

せっかく就職できたヤナセを「辞める。そして美容師になる」と言った時は、まわりからあきられました。学校では、山野愛子ジェーンさん(現:山野美容専門学校校長)が同級生でした。ほかにも、当時一緒だった菅野という同級生は、ハリウッドで美容師として活躍しています。そこで美容師免許を取って、登戸のひとつ先の宿河原という場所で、美容院を開業しました。

パーマ液やヘアダイで手が荒れながらも、手伝ってくれた同級生の菅野と、楽しくやっていました。ところが多店舗展開を目論んでいた頃、手に入れるはずだった物件がポシャってしまって、外は雨で、客は誰もいなくて一人で店にいて、「このままどうなっちゃうんだろう、俺は」という思いにかられてしまいました。

――ボロボロの手を見ながら。



篠崎英明氏:
心もボロボロになりかけました。今は20代後半で若いから何とかなるけど、これが40歳になったら女性も、気持ち悪がるよと思った時に、ちょっと気弱になったんですね。その時に、ソシエワールドがエステティックのエリアマネージャーを募集していて、たまたま求人を見て応募し、あっさりと転職してしまいました。

そこでは店舗管理をするものとばかり思っていたら、社長からのお達しで、なぜか人事部門を担当することになりました。ちょうどバブルの後半で、まだ業界も元気な頃で、店舗展開のための人材が不足していました。そこからようやく今の、人事の世界へと話は繋がっていきます。


想定外を楽しもう



――想定外の出来事を「面白そう」と捉えられています。



篠崎英明氏:
リスクも当然あるのですが、それ以上に期待の方が上回ってしまうんです。
「話違うんじゃない?辞めさせてもらいます」だったら、今のような形にならなかったと思います。人事畑を歩いていく最初のきっかけになりました。一生ずっとそんなことをやっていたいですけれどね(笑)。

私は人の喜ぶ顔が大好きです。転職道場や読者の方から「内定が取れました。ありがとうございます。」という一報を聞くとかけがえのない喜びを感じます。

キャリアドメインの活動では「なりたい自分」「なるべき自分」を目指している求職者の気持ちに応えたいと思います。「人と企業にモチベーションで貢献する」という企業理念のもとで、様々な活動を展開していきたいと思っています。



――チャレンジなくして楽しいことは起こりませんね。



篠崎英明氏:
待っていても誰も来ないし、何も起こりません。一歩踏み出すことによって絶対に何か動きはあります。とはいえ、先のことを考えすぎても、大変です。まずは一歩を踏み出すこと。そうすることで、また違う世界が見えてくるし、いろんな人との関わりが出て、世界は広がっていきます。

――谷所さんの新たな一歩は、どちらに向かっていますか。



篠崎英明氏:
これまで執筆した書籍の一部が台湾、韓国で翻訳本として出ていますが、
経営者、採用担当者向けの書籍『良い人材を見抜く採用面接ポイント』の英訳本を出す準備を現在進めています。

今まで「本」を通じて起きた出会いが、様々な形で広がってきました。人材に対する悩みは、世界共通の部分もあります。今まで携わってきた人材に関するノウハウを、さらに英訳し広く海外へ発信する事によって、言葉の壁に捉われない多くの出会いを生み出したいと願っています。“まだ見ぬ読者”に繋がる本を、自らも楽しみながら皆さんに届けていきたいと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

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