JP/ En
対話する“臨人医”として

今回のお相手

プロフィール 1980年 東京都生まれ 祖父・父ともに銀師(しろがねし)の家に生まれる。 父 宗照氏の高度な技術を間近に見て育ち、小学生の頃には銀師になることを意識し始めていた。その思いは自身の成長とともに大きくなり、高校卒業を機に、「父のような銀師になりたい」と、宗照氏に弟子入りを志願。銀師としての一歩を踏み出した。そして2011年には伝統工芸士の認定を受け、さらなる高みを目指し修練の日々を送っている。

作品一覧

対話する“臨人医”として

東邦大学医療センター大森病院にて緩和ケアチームを率いる、緩和医療医の大津秀一さん。最新刊『死ぬまでに決断しておきたいこと20』をはじめ、「人生の終末を迎えるための準備の大切さ」について、講演や著作で積極的に発信されています。「人に臨む“臨人医”でありたい」と願う、大津先生の想いとは。

“緩和ケア”という仕事



――“緩和ケア”というお仕事について伺います。



上川宗達氏:
私が所属するここ「東邦大学医療センター大森病院」では、常時20人以上の入院患者さんと、外来に通院されている患者さんを、主治医の先生と一緒に診察させていただいています。症状や病状も様々で、関わり方は非常に多様です。症状を和らげる医療を提供することもあれば、終末期を見据えた決断の支援で関わることもあります。

私は床に臨む臨床医ではなく、臨人医だと思っています。私たちはチームでやっているので、時には、精神科医や臨床心理士、薬剤師やリハビリの専門家と連携して、患者さんを支える方法を色々と提案しています。最期まで生活の質を向上するためにできることを探すのが緩和医療医であり、それを実現するのが“緩和ケア”だと考えています。

――“緩和ケア”に携わるようになったのは。



上川宗達氏:
私は小さいころ、体が弱く非常につらい思いをしました。病床にあった地獄全図のような本を読み、「死後の世界」を考えるような子どもで、体や病気そして死について、幼い頃からたびたび触れる機会がありました。高校生のころは、世界史など人類の営みと闘い、栄枯盛衰の歴史に惹きつけられましたが、特に倫理の教科書の副読本に書かれた、哲学者の人生や苦闘の物語を読むのが好きでした。生い立ちが思想に影響することはあるのか、などと興味深く読んでいた記憶があります。

理系科目は好きではなく、好きな科目は圧倒的に文系科目でした。けれども高校3年生の進路選択で悩んだとき、幼少期の体験が蘇ってきて「体が弱くて病気がちだったからこそわかることがあるのではないか。そういう医者も必要なのではないだろうか」と思いたち、医学の道に進むことを決めたのです。

患者さんの笑顔で感じたさまざまな医療の形



上川宗達氏:
今の医学生は早期に医療現場の実習などを体験する機会も増えているようですが、私たちの頃ですと、最初の1年間はもっぱら医学以外の学問修得に充てられ、内科学などの臨床医学の勉強も4年生になってからでした。5年生から病院実習が始まって、実際に患者さん相手の見よう見まねの実習が始まります。

山奥からはるばる来ている肝臓ガンの患者さんの話から、無医村の問題や交通の便と医療の問題が直結する現状を知ることが出来ました。また、患者さんの悩みは病気そのものだけではなく、生活や経済的問題、仕事や周囲の人との関係など多岐にわたるということにも気がつきました。ひとりひとりのお話を伺って、耳を傾ける重要性を感じたのは、この頃です。振り返ってみると、こういった患者さんの言葉が今の自分を作ってくれたんだと思います。また、支えるということは、薬や医療ばかりではなく、色々な方法があるのではないかということがわかってきました。話をしてくれた患者さんの、喜ぶ様子がとても印象的で、今でも忘れることが出来ません。

――患者さんを通して、気づき学ばれていったのですね。



上川宗達氏:
患者さんの悩みに対して試行錯誤する中で、また多くのことを学ばされました。最初に就職した病院では消化器内科にいましたが、そこでもがんの患者さんが、治療のかいなく終末期に移行していく様を見届けていました。患者さんの症状を和らげるために治療をしていたのですが、なかなか患者さんの苦痛をとりさることができず悩んでいました。

そんな時に、淀川キリスト教病院(現京都大学)の恒藤暁先生の『最新緩和医療学』という本に出会いました。内科学の本というと、食道がんや胃潰瘍など、病気ごとに、診断、治療の仕方などが書かれているのですが、この本は、痛みやだるさという「症状」ごとにその原因、治療などがかなりこと細かに書かれていました。「症状を和らげる専門の治療がちゃんとあるんだ」と衝撃を受け、治療に役立てようと何べんも読みました。

「痛い、苦しい」と言う患者さんに、それまで型どおりの治療をやっても全然よくならなかったのですが、この本の通りにやると本当によくなりました。胸の水がパンパンにたまって、苦しくて動けない患者さんも、ステロイド薬で、胸の水が減って動けるようになりました。がんの終末期の様々な苦痛が、適切に薬を使うことで緩和された、この喜びと驚きからますます緩和医療に惹かれ、担当患者さんで必要な方にはどんどん緩和医療を提供していきました。


緩和医療ができること



――患者さんへの想いが大津先生を動かしているように感じます。



上川宗達氏:
患者さんに「悔いのない時間を過ごしてもらうこと」がとても大切だと今は感じています。症状を和らげて、その後どう過ごして頂くかが重要だと思うのです。全ての患者さんが「やるべきことはやった」と、後顧の憂いなく逝けるというわけではありません。がんも最近は症状緩和の技術が進んで、かなり遅くまで良い状態でいられるものの、やりたいことや言いたいことを言えずに最期の時間を過ごすことになってしまう例は少なくありません。本人も心残りだし、家族も後々まで悲しむということになります。もっと話し合ってほしいという想いは、近年ますます強くなってきています。

――『死ぬときに後悔すること25』には、そうした想いが込められています。



上川宗達氏:
みなさんやはり後悔はしたくないと思われています。後悔しないために大事なのは決断です。「生き死に」の問題は、できるだけ考えたくないという風潮がありますが、やはり避けては通れない問題でもありますよね。できれば健康なうちから少しは考えておくのが良いし、今もし残り時間が相当限られているとしたら何を自分は本当に望むのだろうかという問いを行うことは、今ある「生」を豊かに過ごすことにつながるのではないかと思っています。

私が最初に本を出した2006年当時、緩和医療に対する認識は、今とは比較にならないものでした。浮かない顔をされた患者さんにわけを聞くと「みんなに勧められてホスピスに来たけど、何をされるのか不安です」とか「ここは終末期のうば捨て山のようなところだと聞いた」という返事が返ってきたこともあります。そうじゃないということを、じっくり説明する中で、もっと広く社会に、緩和医療について発信しなければいけないと思うようになりました。最初の本『死学 安らかな終末を、緩和医療のすすめ』はそうして出来た本でした。

より良く生きるための死生観



――緩和医療に対する認識は、どんどん変わってきました。



上川宗達氏:
これからは、“価値観に沿う医療”がますます重要になってくると思います。
可能な限り長生きするために治療をできるだけ受けたいという患者さんもいれば、短くても苦痛だけは取ってもらって好きに生きたいという患者さんもいます。これからの医療では、話を聴く中で、その人が何を望んでいるのかということを、明らかにしていくことがますます重要になるでしょう。そして私たち医療者も、患者さんとの対話を通して、患者さんの価値観を理解し、それに沿った医療やケアを提供するようになっています。

これからの老年期医療や慢性期医療、がん医療においては、ますます医療者と患者さんがコミュニケーションを深めながら、協働作業としての要素が重要となってくるでしょう。そのための一助となるべく、現場のことをわかりやすく本にすることも私のライフワークです。そして私自身は、一臨人医として患者さんと接して、痛い苦しい、あるいは心の苦しみや様々な悩みに困っている方、そして重い病気で死と直面している方々を支えていきたいと思っています。

「死を考えるということは生を考えること」だと思っています。そして一人で考えるだけではなくて、ご家族ともそれを話し合い、お互いがどういう価値観を持っていて、何を希望しているのか、それをよく理解しておくことはいざという時にも役立つものと思います。私の本や講演が、みなさん一人ひとりに考えてもらうきっかけや、大切な方と話し合う材料になればいい。そのためにも、より詳しくわかりやすい言葉でこれからも伝え続けていきたいと思います。


(聞き手:沖中幸太郎)

x

パスワードを再設定

JIZAIのアカウントをまだお持ちでないですか?

x

必須入力です 正しいメールアドレスを入力してください 文字数が制限を超えています

必須入力です 30文字以内で入力してください 英数字を1文字以上含む、8文字以上で入力してください

必須入力です

既にJIZAIのアカウントをお持ちですか?

x

パスワードの再設定をします。

メールアドレスをご入力ください

必須入力です 正しいメールアドレスを入力してください