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自分の色を塗り重ねながら近づく 17世紀より繋がる柿右衛門の伝統美

今回のお相手

温かみのある乳白色の磁肌に、鮮やかで日本画的な上絵付けが施される「濁手(にごしで)」。400年という永きに亘る有田焼の歴史とともに、17世紀より今も昔も多くの人に愛される作品を作り続けてきた名窯、柿右衛門窯。その伝統を受け継ぐのが、当代である十五代酒井田柿右衛門。襲名して4年目。現代の柿右衛門として考える、「今」と「これから」のものづくりへの想いを伺ってきました。

作品一覧

有田とともに400年
原点回帰と未来志向の十五代酒井田柿右衛門



――昨年(2016年)は、ちょうど有田焼400年の年に当たりました。



酒井田柿右衛門氏:
初代柿右衛門が色絵磁器を創始したのが1646年と言われていますから、それから約370年。柿右衛門は有田焼400年の歴史とともに歩んで参りました。私は、一昨年の2014年2月、十五代柿右衛門を襲名し、今年で4年目を迎えました。柿右衛門の歴史400年という大きな骨組みを自分なりに確認しながら、今の時代に何が必要なのかを探っている段階です。

17世紀にその製法が確立された、温かみのある乳白色が特徴の「濁手(にごしで)」。柿右衛門の美しい赤絵に最も調和したこれらの作品は、当時のオランダ東インド会社を通じて、遠く欧州の地で、王侯貴族などに愛されてきました。海を渡った「柿右衛門」が、どのような歴史を歩んでいったのか。そこに何か今後につながる、そして十五代として魅せていくヒントがあるのではと、昨年(2016年)は、そうした全盛期だったころの柿右衛門に原点を見出すための、国内外の視察や取材を積極的に行いました。

――製陶以外にも、さまざまな取り組みを。



酒井田柿右衛門氏:
国の重要無形文化財である「濁手」の窯元として、そうした日本文化の保持と発展に寄与したいという想いから、柿右衛門製陶技術保存会会長や、大学の客員教授など務めております。伝統文化の担い手の減少は、この有田も例外ではありません。伝統を次代に繋いでいくためにも、そうした製陶以外の発信も重要だと考えています。

柿右衛門窯の伝統をつなぐ大きな輪の中で 



酒井田柿右衛門:
先代であり14代柿右衛門であった父は寡黙な人で、父と私が初めて会話らしい会話をしたのは、私が17歳のころ。進路について話したのが最初で、それまでは、代々受け継がれていく「柿右衛門」を意識することなく過ごしてきました。

小さいころは人見知りでおとなしい性格だったようです。ただ、遊びとなると真逆で、文字通りこの辺の野山を駆け回っていました。山へ入ってドングリを拾ったり、魚も釣るだけでなく、手づかみで獲ってみたり、そうした自然豊かな場所でのびのびと育ちましたね。こうした有田の自然の中で野山を走りまわっていた幼少期の記憶は、今でも作品の中で活きています。

柿右衛門を意識することなく育ったのは、私だけでなく父も同じで、先先代から直に伝えられるのではなく、まわりから学んでいったようです。私も、本格的に製陶に入る前は、先代と同じく多摩美術大学の日本絵画を学ぶ道に進んでいましたが、こちらに戻って窯に入ってからは、職人さんたちから、朝から晩まで、最初は轆轤(ろくろ)を回すことから教わりました。

――職人さんたちから、伝統を伝えられた。



酒井田柿右衛門:
柿右衛門窯は製陶に携わる職人の存在抜きには語れません。彼らが、先代柿右衛門の技術を受け継ぎ、当代へと繋いでくれるのです。私は先代から、作品づくりを一から教わったり、直接の指導を受けたりしたことはありません。すべては先代の技術を肌で学んだ職人さんから教えられました。当代から次代へ、直接ではない伝え方も、柿右衛門窯の特徴と言えるのかもしれません。



先代からの工房にいらっしゃる職人さんたちは、私に柿右衛門の伝統を教えてくれる先生でもあり、後世に伝えていく仲間でもあります。柿右衛門様式の伝統の伝承とは、そうした大きな輪、仲間たちで繋いできたのです。

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